南粋連

南粋連

ごあいさつ

連長

はじめまして。
連長の若見幸太朗と申します。
私のライフワークは、阿波おどりと八丈太鼓秩父屋台囃子です。
実は、南粋連は連を立ち上げたくて作った連ではありません。
私はそれまで、相模原市の某連に所属して踊っておりました。
ところが、2009年の8月、栃木県のとある大きなお祭りで八丈太鼓を打っている最中、自分の娘や大勢の見物客の前で突然「くも膜下出血」で倒れ、そのまま病院へ救急搬送されました。
そして9時間半におよぶ手術の末、幸いにも一命をとりとめ、後遺症もほとんどなく、入院2ヶ月後には異例のスピード退院をすることができました。まさに奇跡です。
しかしそのことが原因で、所属していた連を去らなければならなくなりました。
その連を気に入っていただけにショックでした。
身体は元気でなんともないのに、連で踊れないという悔しさ。
他の連の門をたたく気にもなれず、もう一生阿波おどりとは縁がないのか・・・と途方に暮れました。
「まあこれも運命」と自分を納得させ、諦めざるを得ませんでした。
そんなおり、その年の年末に行った太鼓仲間との忘年会の席上で、なぜか阿波おどりの話題になり、阿波おどりをやってみたい!と話が盛り上がり、なんとその場の勢いで連を立ち上げることになりました。(笑)
「これもまた運命」と思いましたが、阿波経験者は私一人だけ。
中には、阿波おどりを一度も見たことがないという人もいました。
まぁなんとかなるか・・・と思ってスタートしましたが、結局なんともなりませんでした。(笑)
結成当初は15名ほどいた賛同者も、何回か練習を重ねるうちに、いつの間にか1人抜け、2人抜け、3人抜け・・・ついにはたった2名だけになりました。
未経験者ばかりが集まって連を立ち上げても、やはり阿波おどりはそんなに甘いもんじゃない!ということを痛感しました。
それから2年半、いろいろと紆余曲折がありましたが、ようやく最低限の連の形が整いました。
まだまだメンバーも少ないし、踊りも鳴り物も超未熟でしたが、なんとか阿波おどり大会へ出場できるかな・・・というところまで漕ぎ着けました。
そして、連結成3年目の2012年の夏、以前私が所属していた連の地元の阿波おどり大会へ出場することができました。
連を立ち上げ、かつて自分が踊っていた地でまた踊ることができて、感無量でした。
それまで何度も「もうやめよう」と思ったことがありましたが、諦めずに連を続けていて本当に良かったと思いました。
そのときの気持ちを忘れず、今後もますます精進して阿波おどりを極めていきたいと思います。

連長経歴